ジュニアキャンプ前に知っておきたい!フィリピンの歴史

せっかくフィリピンに留学するなら、フィリピンという国についても知っていただきたい!そんな思いから、フィリピン情報をお届けします。

フィリピンは世界で英語人口が第6番目に多く、アジア圏では随一の英語人口を抱える国です。

実に、国民の7~8割が英語を話せる、もしくは理解できると言われています。
フィリピン人の英語力とつながりのある歴史的な背景を知って、フィリピンで英語が普及するまでの歩みを見てみましょう!

 

(出典:wikiペディア)
(出典:藤田 剛正著「東南アジアの言語政策 その六 フィリピン共和国」)

フィリピンの国名の由来

フィリピンの正式名称はフィリピン共和国(Republic of the Philippines)です。

この名称はスペインの皇太子フェリペ(のちの国王フェリペ2世)に由来します。

 

それでは、さらにフィリピンの歴史を遡ってご紹介します。

 

先史時代~古代

フィリピンの歴史は、25,000~30,000年前にネグリト族が移住してきたことに始まります。

その後新石器文化を持つ原始マレー、棚田水田農耕文化を持つ古マレー人が現れます。

紀元前500年~紀元13世紀の間にはマレー系民族がフィリピンに移住しました。

900年頃の資料によると、当時のフィリピンではすでに複数の文化を受容できる都市国家が存在していたことが明らかになっています。

イスラームの流入

14世紀後半のフィリピンでは、中国(明)や東南アジアとの交易がさかんになり、交易はフィリピンに繁栄をもたらします。

この時期にはイスラム教が広まりました。

 

フィリピンでは現在も、南部のミンダナオ島を中心にイスラム教を信仰する人々がいます。

マゼランと英雄ラプラプの戦い

大航海時代(15世紀半ば~17世紀半ば)に入ると、ヨーロッパ諸国は航海でたどり着いた東南アジアの国々を次々に植民地化していきます。

フィリピンにおいても、世界一周で知られるポルトガル人のマゼラン率いるスペイン艦隊が、1521年にヨーロッパ人として初めてフィリピンのホモンホン島に到達します。

その後マゼランはフィリピンのマクタン島に攻め入りますが、マゼランが攻めてくることを知っていた地元の首長ラプラプの率いる軍に敗れてマゼランは戦死します。

したがって、世界史でも有名な「マゼランの世界一周」の功績はマゼラン本人ではなく、戦わずに船に待機していたマゼランの仲間達が成し遂げたのです。

 

マゼラン軍を撃退したラプラプは現在も英雄として知られており、マクタン島のラプラプ市にはラプラプを祀るMactan shrineがあります。

 

スペイン植民地時代

マゼラン艦隊には勝利しましたが、その後1529年のサラゴサ条約によってフィリピン諸島はスペインの領地となります。

1565年には征服者ミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を領有したことにから、スペインによる支配がはじまり、1571年には国土のほとんどが植民地にされました。

 

スペインによる植民地時代は19世紀末まで続くのです。

キリスト教の布教

フィリピンでキリスト教を布教することも、植民地時代のスペインの目的の1つでした。

フィリピンに侵攻したスペイン人達はローマ・カトリックの布教も進めました。

 

現在、フィリピンの国民のほとんどがカトリック教を信仰しているのはこの時代の布教活動がもとになっています。

 

スペインからの独立

スペインによる支配を解こうとフィリピンの人々は何度も反抗しましたが、反乱の規模は小さいため鎮圧されてきました。

しかし、19世紀末に植民地主義思想を持つホセ・リサールの登場をきっかけに、フィリピン国内で独立運動がさかんになり、1899年フィリピン第一共和国が誕生しました。

罪に問われたホセ・リサールは射殺され35歳でこの世を去りますが、「フィリピンの国民的英雄」として今日も多くの人々の尊敬を集めています。

アメリカ植民地時代

スペインからの独立を果たしたものの、1898年のパリ条約により、フィリピンの統治権はスペインからアメリカに移りました。

スペインからの独立運動はアメリカも支援しましたが、アメリカは真にフィリピンの独立を望んでいたのではなく、スペインからフィリピンを奪ってアメリカの植民地にする狙いがあったのだと、後に判明します。
アメリカはフィリピン共和国の建国を承認せず、フィリピンを植民地化したのです。

アメリカによる支配にフィリピンは猛烈に反抗しますが、アメリカとの戦争で60万人ものフィリピンが殺され、抵抗勢力は鎮圧されてしまいます。

その後もアメリカによる過酷な植民地支配は続きますが、1934年、アメリカ議会は貿易上の思惑からフィリピンが10年後に完全独立することを認めました。

 

日本軍による占領と独立

1941年12月、第二次世界大戦でアメリカとの間に開戦した日本軍が、アメリカを追いやりマニラ市に上陸し、翌年1942年の半ばにはフィリピン全土を占領しました。

その後1945年に日本が敗戦し、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立しました。

日本軍による統治時代にはフィリピン第二共和国が成立しますが、第二次世界大戦では110万人ものフィリピン人が犠牲になりました。

 

植民地支配がもたらした文化的な影響

このように、フィリピンはスペイン、アメリカによる植民地支配時代と、日本軍による占領を経験してきました。

他国による侵略は多くのフィリピン人の命を奪いましたが、同時に文化的な面でも大きな影響を残しました。

 

①フィリピンの国名(スペインのフェリペ皇太子に由来)
②カトリックを中心とする、キリスト教の普及(スペインの影響)
③英語の普及(アメリカ植民地時代の影響)

 

フィリピンのこれまでの歴史を振り返ったところで、次はフィリピンの言語について見ていきましょう。

 

フィリピンは多言語国家!

フィリピンの人口は約1億人で日本よりも少ないですが、フィリピンには少なくとも141の土着語があると言われています。

日本でも地域によって様々な方言がありますが、いずれも日本語ですから方言が違ったとしても意思疎通は可能です。

 

いっぽうで、7,000を超える島々から成るフィリピンの言語は、それぞれが大きく異なっているためフィリピン人同士であっても土着語が違うとお互いの言語が理解できないという問題を抱えているのです。

そのため、それぞれに異なる母語を持つフィリピン人同士が共通の言語を持つことが求められていました。

フィリピンの公用語は?

このように非常に多くの土着語を持つフィリピンの公用語は、「フィリピノ語」と「英語」です。

 

フィリピノ語(Filipino語)は、1973年に憲法で国語として定めらました。

フィリピンの言語(おもにタガログ語)に基礎をおいて形成された言語で、母語の異なる人々の間でのコミュニケーションを目的としています。

フィリピノ語は、実質的にはタガログ語と言えます。

141もあるフィリピンの土着語のなかで、公用語として唯一認められているのがタガログ語なのです。

 

 

英語はどのように使われている?

さて、フィリピノ語(タガログ語)と並んで公用語になっている英語は、どのように使われているのでしょうか?

地域によって違いはありますが、フィリピン人同士では基本的にタガログ語を始めとする土着語で話し、家庭においてもタガログ語が話されています。

一方で「読む・書く」の分野においては土着語よりも英語が中心です。

読み書きの分野で英語が優勢である理由は、後ほどご紹介するフィリピンの学校教育(2種言語教育法)にあります。

 

また、フィリピンにおいては行政府官庁の文書はすべて英語で書かれています。

テレビでの主力言語は英語で、5つある放送局のうち4つの局では午後7時のニュースが英語で放送されています。

英語力のひみつは「2種言語教育法」‼

では、フィリピンの人々はどのようにして英語を習得しているのでしょうか?

その秘密が「2種言語教育法」。学校では、科目によっては英語で授業をしているのです。

フィリピンでは、1974年に「2種言語教育法」が発布され、小学校から大学までの理数科の授業では英語が教育言語になっています。

小学校時代から、理数系の科目はすべて「英語」で授業が行われるというのは、日本人にとっては驚きですね!

 

英語を0からマスターしてきたフィリピン人だからこそ、私たち英語学習者の気持ちを分かってくれるというメリットがあるのです。

 

◆2種言語教育法での教育言語
・フィリピノ語 …社会科、社会科学、道徳教育、保健体育の科目での教育用語
・英語 …数学、理科、自然科学の書教科目においての教育言語

 

 

母国語を見直す動きも

なお、現在、フィリピン政府は「K to 12」という教育改革を進めていて、2016年より全面的な実施が始まりました。

K to 12のKはkindergarten(幼稚園)を指していて、K to 12という名称は「幼稚園から始まる12年間の教育」を意味しています。

 

K to 12の1つに「母語を基礎とする多言語教育」があります。

これまでフィリピンでは、指導言語として母語を使用していませんでしたが、改革後は幼稚園から小学3年生までの間指導言語は母語に変わりました。

K to 12が今後どのように影響していくのか、注視していきたいところです。

 

フィリピン人にとっての英語とは?

フィリピンで英語が公用語になっているのはアメリカ植民地時代の影響ですが、フィリピンの人々は、自国を支配していた国の言葉が公用語になっていることが嫌ではないのでしょうか?

本記事の参考文献、藤田 剛正さん著の論文「東南アジアの言語政策 その六 フィリピン共和国」によると、フィリピンの人々は英語が公用語になったことを前向きに受け入れているのだそうです。

英語力を獲得することで世界中から最新の情報を得ることができ、高度な英語力を持ったフィリピン人は海外に出て高い収入を得ることも可能です。

「英語を学ぶフィリピン人はアメリカ人に憧れているのではなく、フィリピンのエリート層を目標にしているのである」と藤田氏は述べています。

 

英語力を生かして活躍するフィリピンの人たち

フィリピン人の高い英語力と明るくフレンドリーな人柄のおかげで、フィリピンでの英語留学は日本人の間でもすっかり定着しました。

フィリピン人の英語力の高さは、フィリピンに多数のコールセンターがあることでも証明できます。

セブのITパークには、外資系企業のコールセンターが集積しており、英語のネイティブスピーカーからの問い合わせやクレームをフィリピン人が担っているのです。

そして、フィリピン人はその英語力を生かして海外にも進出しています。

毎年、約180万人ものフィリピン人が海外で就職していると言われています。

 

 

まとめ

フィリピンが歩んできた歴史と、フィリピン人の高い英語力の理由についてご紹介しましたが、いかがでしたか?

アメリカの植民地であった過酷な歴史を持ちながらも、フィリピン人は英語を学ぶことを前向きに捉えて成長を続けています。

かつて日本軍がフィリピンを占領していた時代があるにも関わらず、フィリピンの人たちは私たち日本人をとても温かく迎え入れてくれます。

 

また、フィリピンの人々にとって英語は「母国語」ではないからこそ、英語を学ぶ上での大変さを共有してくれる存在でもあります。

このページが、皆さんがフィリピンについてよりよく知っていただく助けになれば幸いです。

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